我が家のラグドール猫、ルルちゃんは、写真が大嫌いだ。カメラを向けると、まるで世界の終わりが来たかのように身を翻し、ふわふわの長い毛を逆立てて逃げ出す。スマートフォンを構えた瞬間、彼女の青みがかった碧眼が一瞬鋭く光り、次の瞬間にはソファの下やキッチンの隅に消えてしまう。猫の写真を撮るのが好きな人々は多いが、ルルちゃんの場合、それはまさに忍耐の試練だ。彼女の美しさを記録したいという欲求と、彼女のプライドを傷つけたくないという葛藤の間で、私はいつも揺れる。
そんなルルちゃんの写真を辛うじて撮れるタイミングがある。それは朝、窓際にいる時だ。東向きのキッチンの窓から差し込む柔らかな朝陽が、彼女の毛並みを優しく照らす。ルルちゃんはそこで、ぼんやりと外を眺めていることが多い。鳥のさえずりや、通りを行く人々の気配に耳を傾け、時折首を傾げる姿は、まるで小さな哲学者のようだ。この時間帯、彼女はまだ眠気の残る体でリラックスしているため、カメラの存在に気づくのが遅い。急に動かなければ、シャッターを切るチャンスが生まれるのだ。

添付の写真は、まさにその貴重な一枚だ。キッチンのカウンターにどっしりと座るルルちゃん。背景には、ガスコンロの上に置かれた鍋や、壁のタイルがぼんやりと映っている。日常の生活感が満載の空間で、彼女の存在が一際際立つ。ラグドールの特徴である、ふわふわの長毛が朝光に透けて、クリーム色と白のグラデーションが美しく浮かび上がる。顔は白く、耳の先や鼻先、背中にかけて淡いブラウンが混じり、まるで高級な絨毯のように贅沢だ。そして何より目を引くのは、あの碧眼。サファイアのような深い青が、カメラを真正面から見据えている。少し不機嫌そうな表情——唇をへの字に曲げ、眉間にしわを寄せたような——が、却って愛らしい。写真嫌いの彼女が、珍しく逃げずにいてくれた瞬間だ。この一枚を見ると、思わず微笑んでしまう。ルルちゃんの碧眼は、ただ美しいだけでなく、どこか神秘的で、魂の窓のように感じる。朝の光が瞳に反射して、キラキラと輝いているのがわかる。
この写真を撮った今朝、いつものようにコーヒーを淹れながら、窓辺のルルちゃんに気づいた。彼女はカウンターの上に前足を揃えて座り、尾をゆったりと巻きつけていた。ラグドールは「ぬいぐるみのような猫」と呼ばれるだけあって、穏やかで人懐っこい性格が多いが、ルルちゃんは少し違う。抱っこは好きだが、写真は絶対に許さない。過去に何度も失敗した経験から、学んだのは「急がないこと」だ。ゆっくりと近づき、息を潜めてシャッターを押す。運が良ければ、こんな風に碧眼を捉えられる。写真の感想を言うなら、この一枚は完璧ではない。背景の鍋や家電が雑然としているし、ピントが少し甘い。でも、それが逆にリアルでいい。完璧にポーズを取った猫の写真は、SNSでいくらでも見られるが、ルルちゃんのこの自然な表情は、彼女の日常を切り取った宝物だ。碧眼の青さが、朝の清々しさを象徴しているようで、見るたびに心が洗われる。

猫と写真の関係は、興味深いものだ。多くの猫はカメラを脅威と感じるらしい。フラッシュの光や、シャッター音が、野生の本能を刺激するのかもしれない。ルルちゃんの場合、特に碧眼が敏感なのか、朝の自然光の下でなければ、すぐに警戒する。ラグドールはブルーの目が特徴の品種だが、ルルちゃんの目は格別だ。子猫の頃から、私たち夫婦がその目に魅了されてきた。夜になると、暗闇で光を反射して不気味に輝くこともあるが、朝の柔光の下では、穏やかな海のように優しい。
結局、ルルちゃんの写真を撮るのは、彼女との対話のようなものだ。無理強いせず、タイミングを待つ。窓際の朝は、そんな特別な時間。碧眼を写せたこの写真は、ただの記録ではなく、ルルちゃんの心の一端を覗いた証のように思う。写真嫌いの彼女が、いつかカメラを許してくれる日が来るだろうか。それとも、この忍耐ゲームが続くのか。いずれにせよ、ルルちゃんの碧眼は、毎朝の喜びだ。ふわふわの毛に包まれた小さな体が、キッチンで輝く姿を、これからもそっと見守っていきたい。







コメント・あしあと